「おはなしがいっぱい　８」掲載

１０月第2週　　　「ミカルの機転」

『ミカルはテラフィムを寝床に置き、その頭に山羊の毛をかぶせ、それを着物で覆った。』　サムエル記上１９・１１〜１７

「お話をする前に」

　　「英雄、色を好む」ということばがありますが、ダビデの生涯も多くの女性とかかわっています。けれども、彼女たちにとって、ダビデと出会ったことは、はたして幸福だったでしょうか。
　ダビデとかかわった女性の中でもっとも有名なのは、バト・シェバでしょう。人妻であった彼女をダビデが奪い取ったできごとは、君主としてのダビデの暗い一面を示す事件でした（サムエル記下十一章）。そのほかにも、やはり人妻であったアビガイル（サムエル記上二五章）、晩年のダビデに道具のように仕えさせられ、ダビデの死の後も政略の具とされた美少女アビシャグ（列王記上一〜二章）、ダビデと息子アブサロムとの戦いの中で踏みにじられた十人の無名の側女たち（サムエル記下一六章、二十章）など、ダビデと出会った女性たちのほとんどは、それゆえに人生をねじまげられたといえるのではないでしょうか。ダビデは、はなばなしい政治的業績をあげたにもかかわらず、家庭的には決してしあわせではありませんでした。その根には、このような女性とのかかわりかたのゆがみがあるように思えてなりません。
　ダビデの最初の妻であるミカルもまた、複雑な生涯を歩みました。サウル王の娘ミカルは、政略結婚の道具としてダビデの妻にさせられます（サムエル記上十八章）。このときミカルはダビデを愛していましたから、結婚を喜び迎えます。しかし、ダビデのほうはどうだったのでしょう。ミカルは、父親と愛する夫が対立すると必死に夫を守ろうとします。ミカルの機転でサウル王のもとから逃れたダビデは、しかし、やがてミカルを捨てて他の女たちを妻としてしまうのです。 捨てられた娘を、サウルは別の男性に妻として与えました（同二五章四四節）。それなのに、サウル王の死後、ダビデは捨てたはずのミカルを無理やり自分のもとに連れ戻します(サムエル記下三章十四節)。おそらく、サウル王の後継者となるために、王の娘婿の立場を利用しようとしたのでしょう。しかし、もう二人の間に愛はありませんでした。ミカルはダビデを軽蔑し、ダビデも彼女を冷たくあしらうだけでした（同六章）。
　このようななりゆきを知った上でもう一度、新婚まもないミカルがダビデを懸命に守る場面を読むと、せつなくなります。晩年、ダビデとの冷たい関係のなかで、ミカルはこの若い日のできごとを、どのように思い出していたことでしょう。苦い後悔と共に忘れたいと思ったことでしょうか。それとも、懐かしい日々の思い出に晩年の悲しい境遇の慰めを得ようとしたのでしょうか。人を愛することの難しさを思います。しかし、そのような悲しい愛もまた、小さくても美しい花を咲かせることのあることをも思うのです。

「お話の例」

　マリアは悲しい気持ちでした。このごろ、お母さんとお父さんの仲が良くないのです。昔は仲良くて、今もマリアには二人とも優しいのに、どうしてなのかマリアにはよくわかりません。
　今朝も、お父さんが冷たく何か言うと、お母さんがわざと意地悪く答え、それでお父さんはもっと腹をたて、ドアをばたんとしめてさっさとでかけて行ってしまいました。その後を見送って、お母さんは座ったままそっと深いため息をつきました。なんだか泣いているようにも聞こえました。マリアはお母さんのそばにいきましたが、なんと声をかけていいかわかりません。ふと、前にお母さんから聞いたことを思い出しました。
　「お母さん、お母さんの名前は、昔の王女さまと同じなんでしょ。ほんとに王女さまだったら、きっとすごくしあわせになれたのにね。」
　お母さんはちょっとびっくりしたように顔をあげ、それから、悲しそうにほほえみました。
　「いいえ、マリア、その王女さま、わたしと同じミカルという名前の王女さまは、あんまりしあわせじゃなかったの。ダビデ王さまと結婚したんだけど、でも、あんまり仲良くなくなってしまったの。」
　「じゃあ、どうして結婚したの？　仲良くないのに、好きでもないのに結婚したの？」
　お母さんのミカルは、ゆっくり答えました。
　「いいえ、マリア、はじめはミカルはダビデのことが大好きだったのよ。まだ若いダビデは、かっこよくて強くて優しくて、誰でもダビデが好きでした。でもミカルは、ダビデのためだったら命を捨ててもいいくらい大好きだったんです。
　ミカルのお父さん、サウル王さまは、ダビデを憎みました。みんなが王さまよりもダビデのほうを好きになったからです。そこでサウルはダビデを殺そうと決心しました。それに気がついたミカルは、こっそり窓からダビデを逃がし、かわりに人形に着物を着せ、頭には山羊の毛をかぶせてベッドに寝かしておきました。殺し屋が来たときには、ダビデのかわりに人形が寝ているだけでした。お父さんのサウルは腹を立て、ミカルにどなりました。『どうしてだましたのだ。なぜおまえは、わしの敵を逃がしたんだ』。でもミカルは平気でした。だって、ダビデのことが大好きだったから、ダビデを助けるためだったら、何もこわくなんかなかったんです。」
　いつのまにか、お母さんの顔はうっすら赤くなって、目はきらきらしていました。そして、ちょっと口をつぐむと、そっと言いました。
　「そう、マリア、とても愛していたのよ。」
　そして、気をとりなおしたように、にっこりしました。
　「でも、お母さんは、王女さまじゃないものね。お父さんもダビデ王さまじゃないんだもの、きっと神さまは、お母さんには別のお話を作ってくださるんだわ。」
　マリアは、お父さんにもミカルの話を聞かせてあげたいと思いました。

(久世そらち）