「おはなしがいっぱい　８」掲載

１０月第4週　　　「洞窟の中のサウル」

『お前はわたしより正しい。お前は私に善意をもって対し、わたしはお前に悪意をもって対した。』　サムエル記上２４章

「お話をする前に」

　ダビデの前半生は、サウル王との出会いと対立を軸として展開します。
　サウル王は、イスラエルの最初の王として活躍した人物です。サウルはすぐれた軍人であり、神に選ばれたしるしとして頭に油をそそがれて王となりました。しかし、まもなくサウルには暗い影がつきまとうようになります。イスラエルをおびやかす敵ペリシテ人との戦いに身も心もすりへらしたためか、「悪霊」が彼をさいなむようになるのです。現代の医者なら「過労とストレスによるノイローゼ」とでも診断するような状態でしょうか。
　サウルの前にダビデが登場するのはこのようなときでした。強敵ゴリアトを倒した勇士として、あるいはまたサウルの心を慰める竪琴の名手として現れたダビデに、はじめはサウルも喜び、彼を愛するようになります。しかし、傷つきやすいサウルの暗い心は、すぐに深い疑いにとらわれるのです。このダビデこそ、自分の立場をおびやかす存在ではないかと。
　疑心暗鬼のサウルは、次第に深い孤独と孤立に陥っていきます。ダビデの名声は高まる一方です。イスラエルの一般民衆のみならず、自分の娘のミカル、息子のヨナタンでさえ、父よりもダビデを愛するほどになってしまうのです。サウルの心はどんなにもだえ苦しみ、悲しく憤ったことでしょうか。もはや正気を失ったようにダビデを憎み、殺意をあらわにするのです。
　ダビデは、ミカルやヨナタンにも助けられてサウルの手を逃れると、逃亡の生活を続けます。一方、サウルは、ダビデを殺そうと追い求めます。この二人が接近遭遇する場面が、聖書には二回記されています(サムエル記上二四章、二六章)。いずれの場合も、サウルが気付かぬうちにダビデが近寄り、サウルを殺すこともできるほどのチャンスであったこと、部下のそそのかしにもかかわらず、ダビデがサウルに危害を加えなかったこと、あとでそのことを知ったサウルが深く悔いて追跡を中止したことが共通して語られています。同じようなできごとがくりかえされたのでしょうか、あるいは、あるエピソードが何通りにも語り伝えられたのでしょうか。
　このできごとが伝えているのは、サウルとダビデの深く複雑な関係です。サウルはダビデをおそれ憎む一方、彼を愛する心をも、なお失ってはいなかったのでしょう。そしてダビデも、サウルから逃れつつ、妻ミカルと親友ヨナタンの父であるサウルを、神の選んだ王として尊び敬う心を捨てませんでした。ダビデは最後までサウルには直接刃をむけることはしなかったのです。
　深く複雑にねじれた関係に苦しむことがあります。しかし、最後の解決は神にゆだねることを学ばなければならないときがあると思うのです。

「お話の例」

　ヤコブはユダが嫌いでした。からだが大きくて乱暴で、小さい子や弱いものをいじめるんです。ヤコブも、ユダになんどもたたかれたり意地悪をされたりしたことがありました。
　ところが、そのユダが、泣きべそをかき、足をひきずりながらヤコブの家にやってきたのです。ヤコブが窓から顔を出すと、ユダが涙顔で言いました。
　「ねえ、助けて、おれ、あそこの木に登ってたら、すべって落ちちゃったんだ。足が痛くてうちまで歩けないよ。」
　ヤコブは一瞬かわいそうに思いましたが、すぐに「ユダは、いつもみんなに痛い思いをさせているんだから、いい気味だ」と思いました。そこで、何もいわずに窓から顔をひっこめると、いそいで家の戸口の扉を、中から鍵をかけてしまったのです。ユダは、ヤコブが戸を開けてくれると思ったのか、しばらく外に立っていました。でも、ちっともあけてくれないので、戸に手をかけてがたがたやっていましたが、鍵がかかっているので、また泣きだしました。そして、何とか家へ行こうと、足をひきずって行ってしまったのです。
　物音を聞いて、部屋の中からお父さんがヤコブに「誰か来たんじゃないのかい」と聞きました。ヤコブは、ちょっと得意げに、「ユダが木から落っこったんだってさ。いつもみんなをいじめてるんだもの、いい気味だよ。助けてなんかやるもんか。しかえしさ」と答えました。するとお父さんは立ち上がってヤコブのところにつかつかと近寄ってきました。そしてヤコブの肩をつかむと、その目をまっすぐのぞきこんでこういったのです。
　「ダビデ王さまのことを知っているかい。ダビデがまだ王さまになる前、サウル王に憎まれて殺されそうになって逃げ出した。サウルはダビデを殺そうと、国じゅう追いかけて捜したんだ。
　ダビデが山のほらあなに隠れていると、ちょうどそこへ、家来を連れたサウル王がやってきた。そしてほらあなの前まで来ると、家来をそこに待たせて一人でほらあなに入ってきた。そして暗がりの中のダビデにはぜんぜん気付かずに、そこにしゃがむとトイレをしはじめたんだ。その間にダビデがこっそりサウルの着物の端を切り取ったのにも気付かなかった。
　そのままサウルがほらあなを出ると、ダビデも出てきてサウルによびかけた。『わたしはここにいて、あなたの着物の端を切り取りました。でもあなたには何もしかえしをしませんでした。どうしてあなたはわたしを殺そうと追いかけるのですか』。サウルは涙を流した。『ダビデよ、わたしが悪かった』。
　さあ、ヤコブ、わかるかい。しかえしは、神さまのすることだよ。」
　ヤコブは黙って聞いていましたが、ゆっくりと戸口のほうに行くと、扉を開けました。そしてユダのあとを追いかけていき、声をかけました。
　「ユダ、うちにおいで。」
　そしてユダに手を貸して支えると、うんうんいいながら歩き始めました。
　「ごめん」と、小さい声でつぶやいたのは、誰の声だったでしょうか。　

(久世そらち）